社外協力スタッフ 
小社-東京シネマ新社は、まさに小さな会社です。円滑な製作を行っているのは、
優秀な社外のスタッフの協力があるからです。


ASSOCIATE STAFF MEMBERS

TokyoCinema is really a very small company. So many significant associate staffs outside the
company made us possible to create a lot of nice film and video products. So we would like to
introduce them.


ラウレンティー・D・ソン Lavrenty Dedyunovitch SONG

1941年 中央アジアに強制移住させられたソ連沿海州朝鮮人の子弟としてカザフスタン共和国ウシトベ
に生まれる。
1963年 全ソ国立映画大学(VGIK)脚本科に学び、ここで岡田一男と知り合い、岡田一男の最初の実習
製作に参加。
1966年 VGIKを卒業、アルマ・アタのカザフフィルム撮影所で劇映画の脚本家として就職。
1970年 劇映画の演出を始める。一方で作家としても認められ、ソ連映画人同盟・同作家同盟に所属。
1985年 リベラルな言動によりカザフフィルムを追われ、カザフ国立朝鮮劇場を足場に演出活動。
1986年  アルマアタのロシア語総合誌プロストール(空間)12月号に、文学作品として初めて朝鮮人
強制移住を扱った自伝的短編「三角形の広場」を発表。
1987年 モスクワの有力改革派週刊誌「アガニョーク(灯)」に「三角形の広場」を高く評価した批評
が掲載される。
1988年 ソビエト作家出版社より、ソ連初のロシア語による朝鮮人作家作品集「太陰暦のページから」
を編集・刊行。自著では「三角形の広場」を掲載。
1989年 カザフスタン作家同盟傘下に独立プロ「Tui i Ya(君と僕)」を設立、抑圧されたソ連市民と少数
民族の記録映像を製作。
1990年 エストニアで開催されたパルヌ国際映像人類学フェスティバルで、岡田と劇的な再会を果たす。
1991年  東京シネマ新社に協力、テレビ朝日・朝日放送「サンデープロジェクト」のソ連要人集中イン
タビュー、ロシア・カザフスタン取材のコーディネーターを岡田とともに務める。
1992年 「Tui i Ya」の継承会社である、Song Cinema社を設立。
     下中記念財団創立30周年記念シンポジウムを機に初来日。旧ソ連在住朝鮮人の現状を報告。
     NHK現代ジャーナルで在日朝鮮人作家李恢成氏と対談、映像活動が紹介される。
     小型Hi-8カメラを駆使し、在CIS朝鮮人社会のビデオ記録をはじめる。
1993年  再度の来日を果たし、川崎、大阪、川口などで在外朝鮮人問題のシンポジウムに出席、在ソ
     朝鮮人問題について講演。
1994年  NHK番組生きもの地球紀行、ETV特集甦る民族音楽などロシア・カザフスタン取材コー
     ディネーターをつとめる。
1996年  カザフスタン共和国文化省より国立朝鮮劇場の立て直しを委嘱され、1年間の期限付きで
     芸術総監督に就任。
1997年  旧ソ連朝鮮人中央アジア・カザフスタン強制移住60周年記念イベント総合プロデューサー。
     記念劇「記憶」の戯曲・演出。
1998年  カザフスタン共和国の遷都プレゼンテーション公式記録映画の演出・構成。
1999年  三度目の来日を果たし、岡田一男と「校長先生」の編集仕上げを行う。
     和光大学総合文化研究所 アジア研究・交流フォーラム、川口の文化センターアリラン、
     北大スラブ研究センター東京大学などで講演。

連絡先: (国内) 当社
(現地)  34-64 Mametovoy Str., Almaty, Rep. of Kazakhstan, phn: +7-3272-326428

L.D. SONG, writer, film director and producer in Kazakhstan who studied with OKADA Kazuo at
VGIK in Moscow. After the Perestroika period, he established independent film studios "TUI I YA"
and later SONG CINEMA. He actively introduced survaival of repressed minolities and citizens in
the Soviet Empire. With TokyoCinema he worked as a coordinator and bussiness partner in
several TV programs, for example SUNDAY PROJECT (Osaka Asahi TV and TV Asahi in Tokyo),
ETV Special (NHK 3ch.), THE GLOBAL FAMILY (NHK).


ザーラ・イマーエワ Zara Denisovna IMAEWA

1961年 カザフスタンへの強制移住から生還したチェチェン人孤児たちを両親に、チェチェン・イングーシ
     自治共和国の南部山岳地帯の村、シャトイ(当時はソビエツコイ)村に生まれた。
1978年 地元の中学を卒業すると、モスクワへ出て、全ソ国立映画大学入学を志望するも、親族が反対。
1980年 親族を説得し、モスクワに出るも映画大学入学を果たせず、モスクワ国立大学ジャーナリズム学科
     に入学。モスクワとグローズヌイを行き来し、結婚・出産・育児と学業を終えるのに10年を費や
     す。郷里では、民俗舞踊団「シャトイ」の組織に参画。また、映画づくりへの意欲を失わず、
     モスクワのさまざまな撮影所で、アルバイトの助手を続けた。
1990年 モスクワ大学を卒業し、グローズヌイで民放テレビ局設立に参画。
1994年 チェチェン独立派政府から、外務省広報官に指名される。ロシア軍の攻撃により、首都を追われ、
     国外で広報官活動をつづける。
1997年 チェチェン独立派政府から、映画担当文化省次官に指名されるが、廃墟の中での映画制作の可能性
     は、皆無で、半年で職を辞し、モスクワで、チェチェン音楽CD出版のプロデューサー活動を続ける。
1999年 東欧圏国際テレビ番組企画に「チェチェンの石塔」製作のため、チェチェン南部山岳地帯滞在中に、
     ロシア軍再侵攻を受け、避難民を率いて冬のカフカス山脈を越え、グルジア経由でアゼルバイジャン
     に亡命。大学時代の先輩、H-A.ヌハーエフの総合商社「コーカサス共通市場(CCM)」に広報
     担当として身を寄せる。
2000年 ヌハーエフの家庭用ビデオカメラで、チェチェン難民の子どもたちの証言「子どもの物語に非ず」を
     制作。翌年、モスクワのサハロフ・センター博物館で、公開され注目を集めた。
2003年 国際人権団体、アムネスティ・インターナショナル日本のロシア人権キャンペーンのスピーキング・
     ツアーに招かれ、岡田らが、日本語字幕制作した「子どもの物語に非ず」の上映とチェチェンの人権
     状況を報告して、日本全国17か所で上映‣講演会を行う。特に熊本では、在日韓国人作家、姜信子と
     出会い、意気投合する。バクーに帰還し、アニメ作品「春になったら」を完成。
2004年 岡田、ラウレンティ・ソンのコーディネーションにより、姜信子との、カザフスタンへのディアスポラ
     の対話の旅を行う。その映像による記録が、2012年完成の「行って・らっしゃい」となる。この旅の
     体験と、日本滞在時の平和への思いが、過酷な体験でトラウマを負ったPTSD児童のための国際アート・
     セラピーセンター「DiDi」のスタートとなる。  
2005年 初めてのチェチェン語による児童ミュージカル映画「お隣さん(ルラホイ)」そのメーキング・ドキュ
     メンタリー「私たちのDiDi」完成。


白井  隆(しらい・たかし)  演出・制作

1955年生まれ。株式会社ステラ・インターナショナル代表
慶応大学経済学部卒業後、ニューヨーク大学映画学校で映画製作を学んだ後、大島渚監督に師事して、劇映画の制作助手を振り出しに映像の世界に踏み出す。
大島渚プロダクション、渡辺プロダクションを経て株式会社ステラ・インターナショナルを興す。

1985年 株式会社ステラ・インターナショナル代表。
1985年 岡田一男と巡り会い、共に子供向けの科学ニュース番組の企画を練るが、実現には至らなかった。
1989年 白井のプロデュースによる日本テレビTime21、ほのぼの獣医夫妻の知床・子ダヌキ育児日記は、東京シネマ新社のNTV参入のきっかけとなった。
その後、米、ターナー・インタナショナルの日本関連ドキュメンタリーの制作・演出、米国・英国における劇映画制作、脚本執筆など国際的な経験を積んで現在に至る。

連絡先: 神奈川県鎌倉市大船2-3-19 
Phn: 0467-46-3664 Fax: 0467-44-1975
stella@kamakuranet.ne.jp

SHIRAI Takashi is a film maker who own his productions STELLA INTERNATIONAL and engages both in documentaries and theatrical films. He coproduced with TokyoCinema the TANUKI project in eastern Hokkaido about raccoon dogs.


原田 健一(はらだ・けんいち)  演出・制作

 
195X年生まれ。雑誌「コレ、は映画だ」主宰。実験映画の監督にして、南方熊楠研究者。平凡社刊行の南方(岡本)清造著、岳父・南方熊楠の編集にあたった。南方熊楠の研究を通じて渋沢敬三岡田桑三の結びつきに関心を寄せ、1994年より文芸評論家、川崎賢子と共同して、本格的な岡田桑三研究を始める。その間、岡田一男が日本常民文化研究所と下中記念財団のために復元作業した渋沢敬三の16ミリフィルム映像(1920-30年代)の著作集・旅譜との照合、分析を行う。1999年11月には、松戸市立博物館の企画で渋沢敬三・宮本馨太郎の2-30年代映像の興味深い紹介講演を行った。

連絡先: 158 東京都世田谷区上野毛1-28-1 Phn&Fax 03-3701-8029
mu-kh@mbe.sphere.ne.jp

HARADA Kenichi is a film maker as well as enthusiat in research of works of MINAKATA Kumagusu as well as OKADA Sozo. He is now writing togather with KAWASAKI Kenko, a critical biography of OKADA Sozo, founder of TokyoCinema for Heibonsha Ltd., publishers.


孝壽 聰 (こうじゅ・さとし)  演出・制作 

1944年生まれ。博物館映像学研究所所長。
早稲田大学文学部卒、国史専攻。野田真吉に師事して、日本の伝統文化に関わるドキュメンタリー映像の制作・演出に従事してきた。
1993年 岡田一男と共同して、下中記念財団の助成により、ニューズレター「映像と生涯学習・博物館(改題して動く映像とミュージアム)」を刊行。
1994年 シンポジウム動く映像とミュージアム(川崎市民ミュージアム・下中記念財団共催)に尽力、1994年秋 岡田一男と共に関連会社、博物館映像学研究所を設立し、代表取締役所長に就任。上尾市教育委員会、北区郷土博物館準備室、大田区立郷土博物館、横浜市博物館、国立歴史民俗博物館、江戸東京博物館などの博物館映像記録資料の作成に従う。

連絡先: ㈱博物館映像学研究所  東京都新宿区市谷砂土原町1-2 山下ビル202号 Phn&Fax: 03-3269-6391
crumim@cd.mbn.or.jp

KOHJU Satoshi is a film maker and chief executive of CRUMIM, Center for Research of Use of Moving Images in Museums, Ltd. Togather with OKADA Kazuo published a new letter "Moving Images and Museums".


直川 礼緒(ただがわ・れお)  音楽家・楽器研究家

1960年生まれ。日本口琴協会代表。
早稲田大学文学部卒、演劇専攻。民俗音楽学者、小島美子氏に師事し、近年はユーラシア全般の口琴を中心に精力的なフィールドワーク・研究活動を続け、その成果を自ら発行する雑誌、口琴ジャーナルに発表している。東京シネマ新社には、The TANUKIの音楽を演奏することから関わった。サハの口琴の教本ビデオの製作をはじめ、ハカスのチャトハン(箏)とハイ(喉歌)の編集に協力するなど、有力な社外ブレーンである。自ら調査に当たってビデオを活用しており、下中記念財団の助成を受けたキルギスの口琴鍛冶の記録やノルウェー、サハ、オーストリアなど各国の口琴鍛冶の記録がある。日本ビクター・平凡社の世界民族音楽大系には直川礼緒撮影のビデオがかなりの量で含まれている。東京シネマ新社は、彼の企画したサハ、ハカス、アイヌなどの口琴演奏コンサートの記録を自主企画として引き受けており、その完成が待たれている。

連絡先: 362  上尾市緑丘1-12-24
FM9R-TDGW@asahi-net.or.jp

TADAGAWA Leo is an unique Ethno-musicologist and representative of JAPAN JEW'S HARP ASSOCIATION (NKK). He perform jew's harp for TokyoCinema's THE TANUKI and co-produced several ethno-musicological video clips. Himself shot several video-documents on jew's harp making in diffent nationalities.


草間 道則(くさま・みちのり) 撮影

1950年生まれ、東京都出身、日大芸術学部映画科撮影Dコースに学ぶ。
1964年、日大卒業と同時にマリンフラワーズの撮影に助手として参加、以来1984年まで、社員として在籍し、ムーン・ジェリーの撮影助手、沖縄・久高島のイザイホー、生きものは動く、Lords of Hokkaidoなど、主要作品の第2カメラを担当した。フリーとなった後は、民放のニュース番組、ドキュメンタリー番組の仕事が多い。1990年代になって東京シネマ新社の制作活動では、サンデープロジェクトのシベリア取材、生きもの地球紀行カザフスタン取材などで腕を振るっている。趣味で行っている写真撮影も評価が高い。最近では、日本の音風景100選、重要無形文化財 雅楽などシリーズのB班カメラを担当。

連絡先:  

KUSAMA Michinori is a freelance cameraman who started his carier as a cameraman from TokyoCinema. He engages in many projects togather with TANIGUCHI Tsuneya. He also takes still photos.




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