北方民族の映像

長らく西側諸国の映像作家や研究者にとって旧ソ連のシベリアや中央アジアは、アクセス困難な地域でした。旧ソ連の崩壊によって状況は一変しましたが、情報はまだ非常に不足しています。北海道立北方民族博物館や国立民族学博物館のための映像収集などを通じて、小社と下中記念財団EC日本アーカイブズは、北方少数民族に関しては世界有数の総合的な収集に成功しました。全映像に関する情報は、いずれこのサイトにupいたしますが、その一部をご紹介しましょう。

 ゲンナジー・ライシェフ 宿営地


連絡先 


ユーラシア北方民族映像インデックス(暫定版)
極東地域(ロシアのチュコト半島、カムチャツカ、アムール下流、沿海地方、サハリン、中国東北地方、内モンゴル、北海道)
東シベリア モンゴル・カザフスタン・中央アジア 中央シベリア 西シベリア 北ヨーロッパ(工事中) 北米(工事中)


作品紹介

トールミの子供たち

エストニア共和国大統領レナート・メリは、民族誌映像の作家でした。政治活動に関わる直前、ソ連のペレストロイカ初期に、環境保全運動に立ち上がったシベリアの北方少数民族活動家たちと再現した、ハンティの熊送り行事の映像化。そのナレーションと歌やインタビューをご紹介します。

夢の時代
ソ連のペレストロイカによって海外渡航の自由が実現すると、ラトビアの映像作家アンドリス・スラーピンシュは、水を得た魚のように活発な活動を始めました。ソ連の極東地域とカナダ・アラスカの双方の北方少数民族の文化を記録することに若い情熱を燃やしていました。しかし、時に祖国ラトビアに戻れば、祖国の独立回復を目指す民衆のうねりを記録していました。1991年1月20日、ラトビアの首都、リガで、ソ連内務省特殊部隊が、ラトビア共和国内務省を襲撃する奇怪な事件が起き、その現場を撮影中のスランピーンシュらは、背後から銃撃され、彼は即死しました。彼の死は彼の家族や同僚、ラトビアの映画界にとっては大きな打撃でしたが、ロシアの民族学者たちにとっても、非常な痛手でした。この夢の時代は、シャマニズムがいまだ、弾圧の対象であった1980年代初期から彼が撮り続け、生前には遂に完成できなかった作品です。

最終段階
カザフスタンの朝鮮人映像作家ラウレンティー・ソンのプロデュースで、サハ共和国出身のユカギール人映像作家、ヴァシリー・パルフョーノフが、サハリン北部のニヴフの現況をレポートした作品です。

失われた本
最終段階と同時期にパルフョーノフがサハリンの大陸側対岸、沿海地方のオロチの悲劇的状況を、現状と今世紀はじめの偉大な探検家、アルセーニエフの手記からレポートしました。

タイガの遊牧民
フィンランドの優れた映像作家ヘイモ・ラッパライネンは、中央シベリア高地のトナカイ遊牧民エヴェンクを長年にわたって記録していました。3部作、ナレーションを省き、ほとんどを登場
人物たちのインタビューへの答えや説明で構成しています。


北方民族映像に関するリンク

NAFA             北欧の映像人類学関係者のニューズレター

HADDON           オックスフォード大学社会人類学研究室の映画百年の前半に作られた重要映像の所在情報データベース

ARCHTIC CIRCLE
    北方圏諸民族の現状に関する豊かな情報源

最終更新 2001.07.20.


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