『沖縄久高島のイザイホー』と全素材デジタル化への道 3
当時、東京シネマ新社保有の同期録音16mmカメラは、6X 広角ズームつきのフランス製エクレールACL1台で、購入当初は200ftマガジン2個だった。
それを400ftマガジン2個増強した。録音機はスイス製のステラヴォックスSP7、5インチオープンリールとゼンハイザーのガンマイクを使用していた。本祭
にあたって、3台のエクレールNPRをNAC社から追加レンタルすることに決めた。また録音にはスイス製ナグラ4、2台を手配した。使用フィルムは、従来一
貫してイーストマンカラーネガを使用していたが、価格交渉の末、フジカラーネガを採用し、現像所も従来のイマジカでなく、ソニーPCLに切替えた。理由
はイマジカに対する不満ではなく、当時ソニーPCLが、デュプリケート作業に撮影用のフジカラーネガを使用することを試みていて、そのノウハウに着目し
たのである。
ポストプロダクションで必要なスティンベック編集機は、アイブルたちが使っていたようなシステムは全く望めず、かなり草臥れた年代物の中古機を長期
レンタルした。ECJA立上げ時に強硬に必要性を強調すべきであったと、悔やまれた。その代わりにはならないが、画のラッシュと、16mmシネテープを同時
に駆動できる、ドイツ、バウアー社のダブルバンド・プロジェクターを用意できた。また、1975年に沖縄で開催された国際海洋博覧会で筆者らは3面マルチス
クリーンの「マリン・フラワーズ 腔腸動物の生活圏」を制作した際、編集と16mm試写のため、シンクロナス・モーター付の16mm映写機と同時スタート
用のコントローラーを保有していたので、これを使うことにした。
撮影設計
撮影設計は、久高島の5000分の1国土基本図を入手し、それを現実にあわせ修正することから始めた。祖国復帰後の失対事業で、島の道路は新道が幾つも
敷かれた。夜間に灯火のない中で、スタッフがバラバラに宿をスタートし、決めた時点で1箇所に暗闇の中で集結する事を予想し、集落内外の通路を徹底的
に覚え込むことが不可欠と考えたのだ。祭りの進行状況は、前回1966年の記述や海燕社版記録フィルムに加え、鳥越憲三郎(1914-2007)著「琉球宗教史
の研究」1965年刊掲載の1942年のイザイホーの記述を参考にカメラ配置を練った。
詳しく島の地理を歩き回って覚えるほか、西銘シズさんが、宿泊している民宿ニライ荘にやって来る度にお話を伺い祭祀における禁忌を心がけて学んだ。
先人の苦い経験は繰り返してはならなかった。岡本太郎(1911-96)氏や北村皆雄氏(1942-)は、1966年のイザイホーにあたり、目覚しい業績を遺されて
いるが、島人からは彼らの善意が理解されない側面があった。カメラマンたちには、ついつい撮りたいアングルがあり、本能的に体が動いていくものだが、
祭祀が進行するにつき、外部者が進入してはならない部分が発生する。これらのエリアには絶対入らない。口に出さなくても島人が嫌っている行動や信仰上
の禁忌は、一切避けて記録を貫徹しようと申し合わせた。
沖縄久高島のイラブー
祭祀の記録を主目的としていたが、島人の日常も撮影したいと考えていた。しかし、晴れ着姿でない普段着姿を写されることには、かなりの島人に抵抗感
があり、大事を前に遠慮せざるを得なかった。もう一つ、祭祀という優れて精神的な文化だけでなく、あれば伝統的な物質文化の記録も併行して記録したい
と考えた。これはイラブーのバイカン、すなわちエラブウミヘビの燻製づくりの記録として結実した。祭祀組織が厳然と存在していた時代を証言する島レベ
ルの年中行事の世話をする村頭制度を経済的に保障する仕組みである燻製づくりは、祭祀組織が崩壊した現在も伝承されてはいるが、村頭一家を中心に半年
は燻製製造に必要な燃料の準備に励み、半年をイラブー捕獲と燻製づくりに励む姿を克明な記録に遺した意義は大きいだろう。
ロケーション開始
以上のような背景の中、イザイホーのおよそ一ヶ月前に4人1班体制で久高島に赴いた。演出:岡田一男、演出補兼録音:後藤雅毅、撮影:谷口常也、チ
ーフ兼第2カメラ:草間道則の4名である。久高島では民宿ニライ荘に宿泊、ここを拠点に撮影を行った。御願立撮影を一段落させると岡田は、3名を残
して、東京に戻って祭り本番の撮影準備に取り掛かった。
本祭期間中の増強機材・スタッフとしては、3台のエクレールNPRカメラを手配し、堀田泰寛、高山永一カメラマンさらに日大の研究生だった渕上拳をチ
-フ助手に、各カメラのマガジンにフィルムを正確に詰め替えられる助手を日大芸術学部映画科撮影コースの学生から手配した。また羽田野泰志ら録音担当
を2名追加した。本祭期間中は、伝統文化財記録保存会の本田安次理事長や、NHK放送文化財ライブラリーの部長が務める事務局長が参加された。平凡社か
らは、比嘉康雄の写真、谷川健一の文章で「神々の島 久高島」を出版するため、編集局から船曳由美さんが、谷川氏とともに来られた。
79.12.17. 御殿庭にて 左:第1カメラ、谷口常也 中央:岡田一男 右:第3カメラ、堀田泰寛