『沖縄久高島のイザイホー』と全素材デジタル化への道 4
まつりの撮影
御殿庭(ウドゥンミャー)には撮影用のイントレの代用として工事用足場を3基、外間拝殿には1基、島の工務店から借用した。久高ノロ家前では路地を
隔てたお宅の納屋の屋根にあげていただく交渉をした。NHK沖縄放送局は、2インチVTRでの収録を準備されていて、「ユクネーガミアシビ(夕神遊び)」
にあたって御殿庭 に1柱2灯かなり強力なライトを増設するということで、それに頼ることにした。当日は暗くなる頃から雨が降り始め、雨滴がライトを直
撃し、ライトバルブが砕け散るなど、ハラハラさせられたが、NHK沖縄の技術チームは根性を見せて、ついに照明機を守り抜いた。
夕神遊びにおける御殿庭のカメラ配置については、3台の撮影台に東側に第2カメラの草間道則がエクレールNPRで構え、写真家比嘉康雄氏もここに載っ
た。第1カメラの谷口常也は、常用しているエクレールACLを構え、その撮影台は御殿庭への入り口通路の拝殿(カミアシャゲ)正面に見て左側に位置し、
これには、平凡社の編集部員、船曳さんが同乗した。第4カメラ、高山永一と筆者は西側の撮影台に載った。高山もエクレールNPRを使用した。この台の直
ぐ下に録音部の2名がナグラ2台を設置した。彼らは、長い棹の先にパラボラマイクを突き出した。邪魔にはならないが、引き画には、このマイクが写りこ
んでいる。それぞれの撮影台にはそれぞれ1名づつ、フィルムの詰め替え要員として日大芸術学部Dコース(撮影)の上級生が付き添った。後発のACLはか
なり改善されていたが、第一世代型のNPRのフィルム詰め替えは非常に神経を使うものであり、悪天候の中、緊張を強いられた作業を黙々とこなした助手さ
んたちには感謝したい。
夕刻、久高ノロ家、既に神女たちは参集している。
久高ノロ家における「イザイホーの本ティルル」を唄い始めるシーンは重要だったが、ベテランカメラマンの堀田泰寛一人に全てを託した。ここにはステ
ラヴォックス録音機を用意し、演出補の後藤雅毅がついた。さらに、当時日大芸術学部Dコースの研究生だった渕上拳とサブカメラとして用意していたボリ
ューR16を、外間ノロ家脇の通路に配置した。岡田と後藤は、トランシーバーで連絡しあった。ちなみに当時久高島には電話は2回線しかなかった。小中学
校に1台、区長宅の売店に1台であった。
七つ橋渡りは、雨中の撮影となり、録音部はポリ袋で小屋根を作ってナグラ録音機2台を雨滴から守ろうとした。しかし次第に雨足が激しくなり、溜まっ
た水が小屋根を押しつぶした。ナグラは、オープンリールの録音機である。水を直接浴びることはなかったが、急停止となった。大急ぎでリカバーはしたも
のの音なし部分がでた。こうした音声の欠落部分は、当時は、那覇市役所の職員をされる傍ら、沖縄の民俗祭祀の音声収録を続けられていた宮里千里氏の収
録音声を提供していただいた。彼はイザイホーに備えて、ドイツ製の録音機ウーヘルを新調されていた。
2日目のカシララリアシビでは、全4台を御殿庭に集中、撮影台3基はそのまま、庭入り口西側の谷口カメラは、登場する神女たちを、東側の草間カメラ
は男神、ニブトゥイの挙動を、堀田カメラは、庭入り口よりやや東側で地上低めから、神女たちの足元などディテールを主に狙った。高山カメラは西側から
やや引き目で、庭に円陣を組んで展開するさまを捉えた。
ナンチュの導き手となるイティティグルーは、夜間に二度、五ツ屋・七ツ屋に篭もるナンチュたちのもとを子の刻と寅の刻に訪れ神アシビする。過去にそ
れを目撃した記述はなく、あるとしか知られていなかった。撮影できるのは御殿庭に向かうイティティグルーの姿だけだったが、混乱を絶対に避ける必要が
あった。このため、初日は見送り、2日目から3日目への夜半、午前4時前の「寅の刻のアシビ」を狙った。比嘉康雄氏は西銘シズさんから、名称と現実のズ
レを聞いていた。指導学者である谷川健一氏や本田安次氏にも伏せ、深更3時過ぎに少しづつ時間をずらして民宿をでて、追随者のいないことを確認し、無
灯火で、5人が別々の経路でイティティグルー宅前に集まった。暗闇で待つこと十数分、入り口の奥にポツンと小さな赤い点が幽かに見えた。イティティグ
ルーはタバコを吸って現れたのだった。そのまま近隣のシム家の拝所に向かうのに従い、安置されている小さな太鼓を手にされたところで、初めてバッテリ
ライトを点灯した。撮影したのは拝所を出て、御殿庭方向に一本道を歩いてゆくイティティグルーの後ろ姿だけである。比嘉氏が立ち止まるのにあわせ追随
を止め、暗闇に白衣姿を送り込み、見えなくなるのを待って消灯した。しばらく暗闇で待機していると、遠くからかすかにティルルが聞こえてきた。それを
録音していると、エーファイの掛け声に変わった。
少し仮眠はとったと思うが、まだ暗いうちから次の課題が待っていた。朱リキに使うスジ印づくりを撮らなくてはならなかった。事前調査では、ナンチュ
の家で近親者がつくるということだったので、当然ながら、初日午前にウプティシジ香炉の引継ぎを撮ったナンチュ宅前で待機した。香炉の引継ぎでは、バ
ッティングしなかったが、もう一班、NHK沖縄局のクルーが、この過程を撮ろうとしていた。彼らは2インチVTR収録を行っており、ナンチュ宅と小路を隔
てた空き家を借り上げ仮設スタジオにしていた。そこからキャプタイヤケーブルで繋がった手持ちカメラで撮影する段取りだった。まだ明るくなる前で、暗
い中、狭いけど頑張りましょうと挨拶して、始まるのを一緒に戸外で待った。ところが、一向始まる気配がない。確かめにいった誰かが、ここじゃないぞと
叫んだ。香炉の継承式を取り仕切ったナンチュの叔母の家で、スジ印づくりが始まっているというのだ。
我々は大慌てで、数百メートル東に離れた、叔母宅へ足早に向かった。一方、NHK沖縄クルーは、2インチVTR機材をバラして、一式をリヤカーに積んで
駆けつけてくるのに数分を要した。我々が室内での撮影を始めると照明の明かりに気付いた大勢の「調査・研究」の外部者が断りもなく室内にまで上がりこ
んできた。既に必要シーンは撮り終わっていたが、遅れてきたNHKクルーの撮影の間、バッテリライトを照らし続けた。草間カメラマンは、バッテリライト
の人間スタンドを無理な姿勢で務めていたが、中年女性だったと記憶するが、闖入外部者の一人が、人ごみの中で、大柄の草間を突き除けようとし、邪魔だ
と言った。怒った草間は、そこで無言のままバッテリライトを切った。開ききった瞳孔にとって一瞬で闇に戻った室内に闖入者たちを残して、脱ぎ散らかし
た彼らの履きものに、もう一度呆れて叔母宅を去った。
3日目朝は、朱リキから始まる。この午前には朱リキという根人(ニッチュ)による認証と二つのアシビがあるが、3台のカメラは撮影台上で待機し、両
ノロ家から出発して御殿庭を経て、七ツ屋に籠もるナンチュを迎えに行く、ノロ、ヤジクを捉えるべく、ノロ家を出た通路で堀田カメラが待ち構え、彼は
遅れて御殿庭に入った。この日は、朱リキ、朱リキアシビ、ハーガミアシビと撮影したが、夕刻に筆者とNHK沖縄局のディレクターは、区長宅に集まる、
祭りの下支えをしている男衆の幹部たちに、翌日の計画を説明に行った。酒の入った席上だったが、協力を快諾してもらい、安心してそれぞれ宿に戻った。
快諾に安心したのは、大きなミスだった。実際に警備を担当する若者たちにダメ押しをするのを、我々はしそびれたのだ。
東方遥拝
4日の朝は厳粛な東方遥拝から始まり、神女全員が外間・久高ふたつに分かれてそれぞれの家で、ナンチュが、その守り神となる兄弟と盃を交わし、祝福
を受けるアサンマーイに出発して行った。当初計画では、アサンマーイは、ウプティシジ香炉の継承式と対になるものと考えて、継承式を撮影したナンチュ
宅を第一に、民宿の女主人の妹宅を第二としていた。ナンチュ宅は、狭いお宅だったが、NHK沖縄局は向かいの空き家からケーブルを引き、谷口と体を押し
付けあうように並んで式の始まりを待った。式が始まり、カメラもスタートして間もなく、谷口は脇のNHKカメラマンが、突然後ろに倒れて行ったのを横目
に、カメラを構え続けた。NHKの2インチカメラの接続ケーブルを島の警備の若者たちが、力任せに引張り、カメラごと後ろに倒れたカメラマンを引き吊り
だしたのだ。さらに、谷口も頭を叩かれたが、黙して撮影を続けようとしたがカメラを抱えたまま、羽交い絞めにされて室内から引き吊り出され、排除され
た。前夜、幹部連中は、若者たちに翌日の警備徹底だけを指示して、NHKと我々の撮影班がナンチュ宅に入ることを許諾したことを伝えそびれたのだ。
アサンマーイでは村内バラバラに四班が散っていた。第一候補撮影班壊滅は、直ぐに第二候補宅前の撮影班についているチーフADに伝えたが、彼は、急遽
音声記録のため予備のカセット録音機を家人に託した。ところがスイッチを入れ間違えたのか、音は録音できていなかった。これは音声欠落という最大のピ
ンチであったが、第二候補宅の一軒手前のお宅での儀式を宮里千里氏が録音されていた。それを宿でコピーさせていただいた。この部分が別音のアテレコ?
と指摘されたことは、これまで一度もない。音あわせは完全だと思うが、この日、後に続く、午後のイザイホーの最もはなやかな行事の連続の中で、完全記
録の破綻をどう取り繕うのかを思う不安に押しつぶされた筆者の気分は、いま一つ冴えなかった。ビデオ収録と異なりフィルム撮影では、対策を打ち出せる
のは現像後のラッシュプリントを見ての事だった。
イザイホーが終わって