『沖縄久高島のイザイホー』と全素材デジタル化への道 2
16㎜フィルムと音声同期の問題
ここで、16mmフィルム撮影における音声記録の技術的問題に触れておこう。昨今のビデオ撮影においては音声と画像は同時に記録されるが、16mmフィ
ルムでの記録では、フィルムに直接音声も記録する方式もなくはなかったが、例外的で、通常は撮影カメラで画像を記録し、別個のテープレコーダーでの磁
気録音が行われていた。すると動画像と音声の同期の問題が必然的に発生する。特に、バッテリー駆動の映画カメラでは、バッテリーの蓄電消費に従って駆
動スピードが微妙に変化して、画像と音声にズレが発生してくる。トーキー映画の象徴的アイテムにカチンコがあり、フィルムのスタートにあたり、カメラ
前で打音を発生させ、これで画と音のスタートポイントを確認する。劇映画や大抵の短編PR映画などでは、これで問題ないが、長尺の切目ないインタビュー
や芸能の記録などでは、たちまち画像と音にズレが生じてくる。そのため、交流電源の50HZ・60HZに同期させるシンクロナスモーターで撮影カメラを駆
動して、一定なスピードを維持したり、カメラと録音機を結線し、双方にパルス信号を記録させスピードを同期させる工夫が行われていた。しかし、この方
法では常にカメラマンと録音技師が結線されており、人混みでの撮影の自由を妨げた。1970年代になると、水晶発振機でモーターの回転数を固定してしまう
仕組み(クリスタル・ブロック)が一般となり、それを装備した撮影機と録音機では画と音のズレは無くなった。
こうした事柄を書き連ねるのは、筆者自身が、この時代に、映像作家として成長する中で、身を持って体験したことでもあるが、世界各地の映像人類学者
たちが、自分たちの切実な課題を映像産業にぶつけて、新システムの開発に大きく貢献していることを、若い皆さんに知っていただきたいからである。当時
のカメラメーカーの主たるマーケットはテレビ業界ではあったが、機材のコンセプト確立には映像人類学者たちの強いイニシアティブがあったのだ。
先行するフランスのジャン・ルーシュは、1960年代のフランス映画界のヌーヴェルバーグの一員でもあるが、映画カメラを自ら駆使する人類学者として
フランス、パリのカメラメーカー、エクレール社の16mmカメラ開発、NPRやACLといったカメラの誕生に関わり、そこから独立したアトーンにも影響を
与えている。エクレールNPRは、こうしたカメラの形態的あるいは機能的特徴を略した名称、ノイズレス、ポータブル、レフレックス、すなわちセルフブリ
ンプによりカメラノイズの周囲への漏出を防ぎ、充分に軽量で携帯可能、フィルム露光面前の回転シャッターを反射ミラーとしてフレームをカメラマンが
常時確認可能としていることを明示している。
一方ドイツでは、ミュンヘンのカメラメーカー、アーノルド・リヒター社が、第二世代のノイズレスカメラ、16SRの開発に動物・人間行動学者、イレノイ
ス・アイブル=アイベスフェルト(1928-2018)らと提携した。彼のマックス・プランク行動生理学研究所(MPIV)人間行動学センターは、全ての研究課
題に16mmフィルムと音声記録を必須として活動していた。70年代初めから彼らは、パプア・ニューギニア島の西半分、インドネシア領イリアン・ジャヤの
最深部の高地で、20世紀まで殆ど外部との接触を持たず、石器時代の人類の暮らしを髣髴とさせる生活を続けてきたアイポ族の総合調査に臨んだが、その過
酷極まりない撮影環境に最新式のアリ16SRの初号機とスイス製の高性能録音機ナグラを持ち込んだ。ただ単にクリスタル・ブロックのみではなく、カメラ
がスタートすると無線で信号が録音機に送られ、音声信号だけでなくタイムコードが磁気的なバーコードとして別トラックに記録された。同一の信号が
16mmフィルムのフィルムエッジ部分にも光学記録され、16mmフィルムスティンベック編集機は、その信号を読取とると、結線されたナグラ録音機を走行
させて、自動的に同一信号箇所を見つけ、正確にシンクロさせてくれる仕組みであった。残念ながら、このうらやましいシステムは、なかなか日本の映像業
界には入ってこなくて、イザイホーの記録には導入できなかった。
久高島現地調査と制作費捻出
さて現地調査に赴くと、久高島には年間26もの年中行事があり、中核となる祭祀組織に新たな成員を加える12年に一度の行事、イザイホーの重要性が痛感
された。しかし、12年間の年中行事の積み重ねの中にイザイホーがある、と言う側面もあり、限られた制作予算をどう運用するかは悩ましいものだった。さ
まざまな逡巡があったが、メインカメラマンを帯同してのロケハンを年中行事「カンザナシー」でカメラテストを行う他は、78年秋に行われるイザイホーに
集中することを決めた。戦力の逐次注入を意識的に避けたのである。
谷川健一氏からは沖縄在住の地理学者、仲松弥秀氏(1907-2006)に教えを乞うことを勧められ、比嘉康雄氏からは、久高島の祭祀組織の中で生き字引の
存在、外間ノロ掟神(ウッチュガン、ご本人は謙遜されて、ウメーギ=補佐役と位置づけていられた)西銘シズさん(1904-89)に引き合わされれた。本作
品のイザイホー解釈には、大きな骨格部分では仲松弥秀氏の沖縄村落共同体観、祭りの細部については、祭祀の当事者としての西銘シズさんの意見が強く反
映している。
イザイホーの主要な行事は数日間であるが、1カ月前に御願立(ウガンダティ)があり、また本祭の数週後、外部者の立ち入りを厳しく禁じている島最大
の聖域フボーウタキの祭祀にカメラを入れることが許される一瞬が、フバワクという聖域の年末大掃除儀礼の終了直後にあることを知り、少なくとも撮影班
一班は50日間あまりの滞在が望まれた。同期録音可能なノイズレス16mmカメラは、数日間の本祭には最低4台は、必要と考えられ、撮影可能な行事は頭か
ら尻までシームレスに記録しようと意図すると、経費の捻出は極めて頭の痛い問題だった。
そのとき、本田安次氏(1906-2001)の主宰される伝統文化財記録保存会が、イザイホー収録を計画されていると聞き、収録映像をプールして、お互いの
不足分を提供しあおうという提案をした。伝統文化財記録保存会は、1974年から1984年まで、現在の公益財団法人放送文化基金が活動開始時に策定した民
俗伝統文化の記録保存についての特別プロジェクト「記録フィルム制作、資料収集、ライブラリー整備」の受け皿として、NHKの民俗芸能番組の監修者であ
った、当時の第一線民俗芸能研究者数名を理事として組織された任意団体で、11年間に17作品を企画・制作している。通常、こうした助成金支給は経費の半
額以下が多いが、この会の場合、制作費のほぼ全額を放送文化基金の助成金でまかなっており、しかも事務局は、NHK内部に置かれ、現在の知財センター、
アーカイブ部の部長が事務局長を務めていた。11年間に放送文化基金が支出した総額は45,000,000円であった。イザイホーについては、昭和52年度助成
金の一部が該当する。ちなみに、1978年のイザイホー以降、プロジェクト終了の1984年までは、岡田らが、同会の制作実務をお引き受けした。
筆者らの提案に対して、本田氏は、イザイホーに関して、放送文化基金からの助成金をそちらに提供しようと対応して下さった。下中記念財団の予算と
放送文化基金助成金だけでは足りないので、当時、国立民族学博物館から受注していた民博ビデオテークにエンサイクロペディア・シネマトグラフィカ収録
50作品あまりを再編集し、ナレーションを付す作業費の東京シネマ新社の利潤分を、平凡社から一時的に前借りして投入することでほぼ解決した。
掲載開始: 2021.05.28.
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