『白水境の探索者』 1989年制作 
ISKATELI BELOVODIYA Prod. Tui i Ya, Almaty,  color 35mm 54分
帝政ロシアの教会改革を拒んだ旧教徒たちは、国家の迫害を逃れようと辺境の地におちのびた。彼らはアルタイ地方で信仰を守ろうとしたが・・・ 国家権力と結んだ教会の次に彼らを迫害したのは無宗教国家を政策とする国家自身だった。ペレストロイカの進行で表現自由が確保されたカザフスタンで、信仰に忠実な故に迫害された民衆の心を描いた独立プロダクション製作の美しい記録映像。ビデオコピー(ロシア語版英語スーパー入り)は、当社より購入可能です。



この若い娘さんはいわゆるロシア旧教徒と呼ばれる信者で、婚約者がよその娘に目を移さず、一途に自分のことを想ってくれますように、と呪文を唱えるように神に祈っているところです。

『白水境の探索者たち』   

歌1
    「岩山よ!私たちが御身の許にやってきたのは
     一晩過ごすため
     人生を過ごすことになろうとは
     思ってもいませんでした。」

この曲は、ブカタルマやアルタイタイガに響きます。 古い昔住んでいた国から逃亡し、約束の地を探し求めてここまでやってきたロシア旧教徒の歌です。 17世紀中ごろ、ロシアの東方正教に新しい教義、儀式が伝えられ、そのことによってロシア教会信徒の間に分裂がおきました。

従来の教義を固く守り通そうとした旧教徒たちは、主流の教会から分かれ、ラスコルニク、分裂派と呼ばれるようになりました。正教会から自由にはなったものの、逃亡の生活は苛酷でした。兵隊に追われる生活、家いえは焼かれ、古い書物、イコンなどが消失しました。

しかし、それも一時的なこと、新しい生活を始められるだろうと頑張りました。新しい村として築かれたのがコロビカ、ペチ、オソチカ、ベレル、フィカルカ等の村落です。

男1
   私たち夫婦は開墾して、耕作を始めました。しかし、そこは湿地帯だった
   せいか穀物は全く育ちませんでした。
   そこで移動し、また開墾をし、とうとうこの地に落ち着きました。」  

歌2
この歌は、新郎が新妻の友達に贈る引出物についての唄う古い歌です。 フィカルカは風の吹き抜ける谷間にある村です。シャリポフ兄弟たちが開いた村といわれています。皇帝、ツァーに隷属した鉱夫でしたが、そこから逃れてきました。アルタイ原住民の諺に『岩山にむかう』という言い方がありますが、その意味は「山に逃げ込む」といった意味です。ロシア旧教徒たちは『岩に向かった人びと』です。この地に落ち着いた『岩の住民たち』は、やがてシカの放牧を始めました。彼らについての最初の記録は、リカレフ少將のピョートル一世への報告の中に記されています。リカレフ少將は「ロシア旧教徒は、シカの家畜化を中国人に学んだ」と記しています。シカの角は切り落とされて中国に送られました。中国ではシカの角から精力剤を作り、それで珍重されていたのです。

Q 「あなたの村、フィカルカ村の特徴は何ですか?」

男2 「何百年もこの村じゃシカの放牧、養蜂をやってきたんだ。
   革命前からラスコルニクが住み着いてね。
   わたしの親父はサムソン・シャリポフっていう商人に使われていた。
   シカの角を切って、それを中国に売ってたんだよ。
   昔、中国との国境は開いてたからね。
   中国からは、お茶、布、皮、粉、狩猟用の火薬、絹、それから陶磁器等を
   買いつけていたんだよ。
   村人はそうやって暮らしていた。
   旧教徒は皆、シャリポフっていう名前だったよ。
   今じゃ、シャリポフっていう名の人は、この村じゃたった一人だけだけれど。」

Q 「あなたはシャリポフさんですか?」
女1 「そうだよ。」

Q 「シャリポフっていう名の人が一頃はたくさんここにいたそうじゃないですか?」
女1 「ほかの名前の人もいたよ。」

Q 「この村にはむかし教会があったそうですね?」
女1 「あったよ。ただ祈祷所って呼ばれてたけど。」

Q 「それはどこです?」
女1 「もうとうに壊れっちゃったよ。」

Q 「なぜ?」
女1 「法律でとり壊せってことになったんだよ。  
   だれの土地も没収された。
    大事な本やイコンをみんな持ってってしまったんだ。
   もっとも、司祭様は監獄行きになったから、本なんかはあったって無用だ
   ったんだけどね。」

男1 「教会の屋根のてっぺんに登ってさ、十字架を外させて、壁のイコンを外せ
   と命令したんだ。
   それから教会堂は地域センターにされっちまった。」
女1 「本当は本なんかがあったんだ。」

Q 「どんな種類の本があったの?」
女1 「聖書とかそういう本さ。
   それが全部持ってかれちゃって・・・
   どこに持ってったかなんて、わたしゃ知らないよ。」

白水境の探索に率先して出たのはシャリポフの一家だけではありませんでした。一時栄えた村が今は最後の吐息に喘いでいます。500人からいたシャリポフ一家も、今は年老いたイエブドキアだけを残すありさまです。

男2 「旧教徒の人たちが家を追われて出て行くところを見たよ。

   あの人たちは集団農場制度の敵、クラーク(富農)と呼ばれてた。
   ある日、役所の脇の一ヶ所に集められてね。
   それを見て、村人は皆泣いたっけ。男も女も、ロシア人もカザフ人も、皆ね。
   長い列車が、あの人らを連れてってしまった。あとに残ったのは家畜とニワトリだけ。
   わたしはそれを、実際見ていたんだ。」

旧教徒は、大切な秘密は年寄りから若者へと、なん代も秘かに伝えてきました。フィカルカにも、遠くからいろいろな人が集まってきたこともありました。シカの血を飲みたいと言って来るもの。血を飲むと精力がついて力が出るのだそうです。シカの角をゆでたお湯に浸かって行く人もいました。シカに出来る潰瘍が関節の傷みを治すと信じているものもいました。シカには奇跡の治癒の力があると信じられていたのです。  

歌3
この古い歌で、娘たちは未来の許嫁がハヤブサのように自分の許に飛んできて欲しいと
唄います。 唄いながら、友達の嫁入り衣装に刺繍をしています。

男3 「人間はいくら苦しい人生でも、いつかこの苦しさの後に平安が戻ってくる
   と知っていさえすれば、かなりの厳しさにも耐えられます。
   そう信じられれば力と希望が与えられると云うものです。
   しかし、この国に20世紀になって興った信仰に対する挑戦は、いつ終ると
   も知れない長い期間続きました。

民族の独自の文化に対する屈辱は、民族の希望を打ち砕きます。」 地域で学校の先生をしているニコライ・ザイツェフさんは、白水境の探索者の足跡を探して研究してきました。先生の生徒たちは人気の無くなった村で、使い古されたものを探して歩きました。

こうしてイルテュィシュの村に白水境博物館ができたのです。 東カザフスタン民族博物館には東方正教分裂前の本、イコン等を収集しているユニークな博物館です。代々伝えられた民族のお金には替えることのできない遺産のごく一部です。

男3  
   「戦火をくぐりぬけ、人びとが生活に最も必要と信じ、守りぬいてきた民族の信仰の
   証ある遺産、本とか手回りの品といったものばかりです。

   侵略され、迫害されて、すべて持ち物をおいてタイガや山間部に逃げ込まなければ
   ならなかった時、からくも信仰を守りぬくために十字架やイコン、聖書を携えてここに
   たどりついたのです。    

   ロシア旧教徒の多くが、約束の地・白水境を求めてこの地にたどりつきました。
   こうした理由から、ここの収集品の中に宗教に関連する独特な品々が多く
   みられるのです。

   ロシア旧教徒の精神の拠り所をスキティと呼びます。
   ほとんどのスキティがウバ川沿いにあります。
   図書館の資料によると、何百、何千という宗教的書物がスキティの図書館
   に所蔵されていたそうです。
   ウバ川上流の川岸にあるスキティには数千の書物が残っていました。
   その書物は古くは13世紀から16世紀の貴重な書物です。
   このスキティのことを知る証言者によると、ここには立派な画家の描いた
   イコンが所蔵されていたそうです。

   1930年代、宗教に対する弾圧が最も厳しかった頃、このスキティは壊され
   ました。
   その後、ここに所蔵されていたものの内の僅かなものが、近くの村で発見
   されました。
   言伝えによると、人びとはここから30キロほど離れた土地に大事な聖書と
   かイコン等を隠していたというのですが・・・

   イコンの研究家ポクロフスキーは探し続けた末、15世紀に作られた聖書を見つけ
   ました。と言うことはお宝は本当にまだどこかに眠っているのではないかという人
   もいます。

   しかし残念ながら、綿密な探索にも関わらず今の処見つかっていません。
   ヴストゥレコノイエ村に住む人が本の背表紙がウバ川の流れの岸に散らば
   っているのを見つけたことがあります。
   これは崖っぷちの手がかりになるかも知れません。    

   何千冊もあったということですから、いつかこうした宗教書物は見つかる
   かも知れませんからね。」

結婚する花嫁は、先ず水で体を清めます。

歌4  

花嫁の友達たちは、もうすぐ楽しんでばかりはいられない主婦になろうとしている
友のために涙を流します。

1950年代から60年代に掛けて、西ヨーロッパではロシアの中世の文化に注目しました。ブクタルマ村のロシア旧教徒たちは、この期を逃さず、業者に本をたくしました。業者は聖書や賛美歌のために描かれたイコン等を沢山持ち去りました。価値のある遺産はこうして西側に渡って行ったのです。

男3 「そうしたことがあった後の今日、ここには信仰のかけらも残っていません。
   教会であった建物は地域センターに衣替えしてしまいました。
   センターに変わったからといって誰も喜びませんよ。
   一旦建物の本来の目的が奪われたら、同じ建造物であっても人びとは聖な
   る場所とは見なしません。
   スネギロヴォ村の心の休息の場であったロシア旧教徒の教会は、いまバラ
   バラにされて薪にされようとしています。
   こうした薪の山から、もう一度もとの教会の形に建て直そうという動きも
   出てきいます。教会は村の、また地域の誇りであったのです。」   

歌5
この歌の中で、花嫁は「気ままな生活よさようなら、空よ、山よ、そして曙よ、さようなら」と
歌います。 ロシア旧教徒が、見たことのない、ミルクやハチミツが川のように流れる、
自分たちを待っている約束の地白水境を求めてここに逃れてきた時代から、この橋の
下に幾多の水量の川が流れたことでしょう。

女2
   「誰も私たちに施しをしてくれる者なんていないのさ、  誰も食事を用意してくれる
   ものもいない。
   親はとうに死んでしまった。
   私のために祈ってくれる人なんて一人もいやしない。
    まるで私たちは牛か馬のようなものさ。  
  昔はこんなじゃなかった。人が死ねば祈りが捧げられ、丁寧に葬られたものだ。
   今では墓穴にポイっさ。」   

歌6
白水境を夢みた人びとは皆、自分たちを川や森の一部とみなし、子供たちにも田畑を
汚さないように、川を汚さないようにと教えてきました。この土地は一族すべての者の土地
なのだからと。   

歌7
この歌は、娘を嫁がせることになった母親が娘に別れをつげる歌です。 母親は娘の髪を
結い、編み上げることで娘に鍵を掛けます。 その上で、娘がその夫の許を離れることがないよう、
両親の処に戻ることなどないよう、鍵を海に投げ込むといいます。

歌8
    「私は一人っ娘
    その私が嫁いだ
    その頃、若くて何も知らず
    夫に愛さえ感じなかった
    知らない土地に連れて行かれ
    すっかり干涸びてしまったの
    姑たちは、まるで強い風のように
    私に優しい言葉ひとつかけようとしない」


WRITTEN BY R. Alpiev.
DIRECTED BY R. Alpiev & V. Parfenov.
CAMERA: R. Alpiev & V. Parfenov.
SOUND : G. Pasich
PRODUCER: L.D. Song


最終更新 2000.01.05.

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