トルコ風の結婚式

脚本・演出、ラウレンティー・ソン、撮影がエドアルド・ボヤルスキーと、ヴァレリー・ザハーロフ、プロデューサー、スタニスラフ・ソン、1992年撮影、1996年完成、カザフスタン共和国、ソン・シネマ作品。

東京シネマ新社に保管されているものは、英語スーパー入り 貸出・販売をいたします。


あらすじ

この作品の外見的なテーマは、非常に単純です。これはメスフ人=メスヘティ・トルコ人の結婚式儀礼の詳しい記録です。トルコ式の結婚儀礼は、大きく二つに分けられます。前半は、新婦を送り出す、新婦の実家でのお祝いです。新郎は、このお祝いの席には出席できません。後半はこれが結婚式の基本となるものですが、新郎の近親者によって新婦が連れてこられた新郎の家でのお祝いです。メスフ人という呼び名は、彼らが1944年にスターリンの命令でグルジアの移住させられたことによります。この作品には、1989年にウズベキスタンのウズベク人とトルコ人の間でおこった民族紛争であるフェルガナ事件のニュース映像が挿入されています。衝突は、社会的、生産関係の理由があって発生しました。

農業、特に野菜栽培と果樹園経営に大きな経験を有するメスヘティ・トルコ人は、地元の失業状態の大部分のウズベク住民よりも、はるかに良い暮らしをしていました。結果として、1万7千人のトルコ人が自らの意志に反して、住み慣れた土地と自分の家を捨て、難民化することを余儀なくされました。

また、この作品には5つのインタビューが含まれています。最初のものは、トルコ人作家のアリーエフのものです。 

ソ連とトルコの平和条約の結果、我々の故郷はグルジアの一部とされました。1941年当時、トルコ人は20万人を数え、うち4万は、壮健な男子でソ連赤軍に従軍していました。戦時中に、内8人には、ソ連邦英雄の称号が与えられましたが、いかなる勲記にも、軍の文書保管施設にも彼らがトルコ人であったことを証明する記録はありません。次に無念なのは、ソ連政府が我々がトルコ人であることを抹殺して、我々のパスポート(国内身分証明書)に、我々の民族籍をアゼルバイジャン人としてしまったことです。にもかかわらず、1944年には、ベリヤとスターリンの命令で、我々はトルコ人であるとして、全ての財産を放置したまま、貨車に詰め込まれて中央アジアとカザフスタンに強制移住させれました。こうして我が民族は、自分たちの文化を発展させる機会を50年間も奪われたのです。この国の指導部には、いかなるトルコ人も参加していません。

二つ目のインタビューは若いトルコ人のものです。 

お祭りの日には、喜ばしいとは感じるのですが、何か縛られているようにも感じるのです。そして地元の人々と紛争が起こると、人々は互いに獣を見るような目つきになります。

三つ目のインタビューは、トルコ人のおばあさんのものです。彼女は1944年の強制移住の想い出を語っています。 

昼の12時に、当局の人がきて、我々は移住だと通告したんだよ。私のところには、小さな子が3人いたんだ。貨車に詰め込まれて17日もかかって、こちらに着いたんだ。


四つ目のインタビューは、退役軍人のものです。 

我々が前線で闘っていたときに、全てのトルコ人は、強制移住となったんだ。私の家族はカザフスタンのカラガンダに送られたと言われたんだが、何処をさがしてもいなかった。私が自分の妻子を捜し当てたのは、キルギスタンのオシの町だった…


五つ目のインタビューは、アルマトゥのトルコ文化センターの代表のものです。 

70年間もの間、私たちは全体主義国家に暮らしてきました。そこではあらゆる文化の発展が阻まれていました。われわれトルコ人のような少数民族は言うに及ばず、カザフ人すら、自らの土地、自分の生まれ故郷に暮らしながらも、自らの言語を失い始めていました。私は、カザフ人の間で育ち、文字通りロシア人とも、ウズベク人とも、カザフ人とも、チェチェン人ともイングーシ人とも、朝鮮人とも、ドイツ人とも仲良くつきあいました。寄宿舎で一緒に暮らし、問題なんかありませんでした。

今起こってることと言ったら、どういうことなのでしょうか? 何のために4万人ものトルコ人の同胞が、大祖国戦争の前線で血を流さねばならなかったのでしょうか?そのうち、2万6千人が命を落としたのですよ。彼らは、ソビエト社会主義連邦共和国という祖国のために死んでいったのです。これはグルジア、ウズベキスタン、カザフスタンのためでもあった筈です.. ところが今日、ロシアはロシア人のものだとか、グルジアはグルジア人のものだとか、ウズベキスタンはウズベク人のものだとか.. それでは、残りのものは、何処へ行けと言うのでしょうか? 我々が此処へ自分の意志でやって来たとでも言うのでしょうか? これでは事実上の第2の強制移住ですよ!... 一つの世代が、47年間に2度も強制移住などと言う目に遭うなんて...


テレビニュースのジャーナリスト・レポーターの声

衝突の結果、およそ2000人のメスへティ・トルコ人が、フェルガナからロシアに疎開しています。この課題は困難を極めます。飛行機も足りませんし、ほとんどのトルコ人は、身分証明書を盗まれたり、無くしたり、焼かれてしまったりしています。事態の正常化には、まだまだ長い時間がかかることでしょう...


最後に若いトルコ人の言葉で作品は終わります。 

私は、みんながお互いに人間であると認め合い、互いに誠実に尊敬しあうことが大切だと思います。互いに仲良く助け合えば、子供たちの暮らしは、今より良くなるでしょう。私は、みんなが仲良く、愛し合うことを望みます… 


掲載開始: 1999.08.18.
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