沖縄久高島のイザイホー
東京シネマの、この分野の製作活動は、1950年代に始まります。創業者、岡田桑三は青年期より日本の民族学の生みの親の一人である渋沢敬三に大きな影響を受け、彼を通じて多くの民族学者を知り、仕事を超えた交友を続け、渋沢の設立したアチックミューゼアムの後身である財団法人日本常民文化研究所の創立にも名を連ねておりました。岡田桑三が映画を職業に選んだのは、若き日にパリで観たロバート・フラハティーのナヌークなど、欧米の先駆的な民族誌映像に刺激されてのことでした。
創業期の東京シネマが初めて得た新たな可能性−イーストマン・カラーフィルムを駆使して記録したのは、戦前の渋沢らの映像による常民の暮らしの記録に啓発されての、戦後の復興期を迎えた東北の農村の暮らしであり、農村の伝統文化でありました。
1970年代、東京シネマが財団法人下中記念財団に協力してエンサイクロペディア・シネマトグラフィカ−EC日本アーカイブズの設立と、その後の運営に参画したとき、最初の製作活動の課題となったのは、日本の民俗・伝統文化の記録について、典型となるべき記録方式の追求でした。その結果まず製作されたのが雅楽シリーズです。これは、16mm同期録音カメラを多数動員して、完璧な記録保存を行なう試みでした。このような記録保存の追求は、その後70年代末から80年代初めにかけての沖縄久高島のイザイホー、那智の扇祭りなど、伝統文化記録保存会との共同作業による伝統祭祀や芸能のフィールドでの記録活動に発展しました。
エンサイクロペディア・シネマトグラフィカを通じての活動は、膨大な世界的な民族誌映像情報へのアクセスを可能にし、既存映像の活用に当社のノウハウをおおいに蓄積させました。この結果、国立民族学博物館のビデオテーク作品のうち50数作品の編集作業に当社スタッフが参画することになりました。
さらに、ECフィルムのカバーエリアの空白を埋めるべく、北欧・シベリア・アラスカ・カナダ・アフリカなどの民族誌映像の収集や、国立民族学博物館・北海道立北方民族博物館への納入を続けています。今後の課題として民主国家再建の途につこうとしている旧ソ連各地の映像人・人類学者との共同作業により、記録活動を民俗・伝統文化の分野でおおいに推進して行きたいと考えております。
また関連会社として株式会社博物館映像学研究所を1994年に設立し、その設立準備期からニューズレター 映像と生涯学習/博物館(改題され動く映像とミュージアム)の発行を通じて、郷土に密着した民俗文化の映像記録のあり方を追求して参りました。その成果は、日本の音風景
100選の数多くの祭りの伝統工芸の記録や、2000年6月に完結を見る新しい雅楽シリーズに活かされています。
日本映像民俗学の会のHPへ
1998.09.20. 掲載開始 2000.03.28. 最終更新